2014年10月2日木曜日

もしもの時の責任は

 法律に普遍性はないと思います。
 以前書いたことがありますが、法律は国によっても、時代によっても違うものです。
 社会の有様や政治体制などが変われば、法律も変わるものだと思います。変わらなければならないと思います。
 社会や政治体制が変わっているのに、法律を変えなければ、様々な事柄で歪みが生じ、混乱や衝突が起きると思います。

 近年、社会が急速に変わっていると感じることがあります。
 技術の発達は、インフラなど社会の構造を変えることがあると思います。それは人間の生活を変化させたといるような気がします。
生活環境や社会構造が変わるのですから、人間の行動も変わると思います。
環境が変わり行動が変わるのですから、人間の心理も変わるような気がします。

技術の進歩は、人間が認識しいている以上に、大きな変化をもたらしているような気がしてきます。
そしてその技術の進歩は、加速し続けているような気がします。
ただ、技術が常に進化し続けていることは、人間社会にあまりにも当たり前に存在し続けてきたため、人間はその速さと加速度に気づいていないような印象があります。
頭では理解しているものの、認識できていないような気がするのです。

このところ「法整備が技術の進歩に追いついていない」などという言葉をよく耳にします。
そう言わざるを得ない事態が、たびたび起きているのだと思います。
それは人間が、技術進化の速度を過小認識していることの表れかもしれません。
人間の認識が、技術に置き去りにされているということです。

そのように法整備の遅れが指摘されるのは、技術開発が速い分野で見られることだと思います。
まず思いつくのはコンピューターです。
その分野は競って開発されていることもあり、進化が非常に速いと感じます。活発に開発されているということは、需要があるのだと思います。そしてそこから利益が生みだされているのだろうと思います。

一口にコンピューターといっても、それはあらゆる分野で利用されていると思います。
そのあらゆる分野において、大きな変化をもたらしていると思います。
そうなると、あらゆる分野において、法整備が追いつかないという状況が起こり得ると思います。

 ところでアメリカでは自動運転する自動車が、すでに公道を走行しているそうです。
 まだアメリカでも、自動運転車両は市販されていません。
 開発中の試験車両が、一般車両が通行している公道で行われているそうです。
 もちろんアメリカ国内すべての道路で出来るわけでなく、許可された州だけだといいます。
それにしても閉鎖した道路ではなく、通常通りに走行している一般車に混じって、自動運転車が走っているそうです。

 アメリカのコンピューター関連企業が自動運転車を開発していることは、以前から耳にしていました。
 走行実験をしている映像も、何度となく目にしています。しかし一般車両と共に公道を走れるようになるのは、まだだいぶ先のことだろうという印象を持っていました。
 それが試験車とはいえ一般道を走行していして、その地域では自動運転車を目にする機会が増えているそうです。
 いつも通り車を運転していると、その前後や対向車線に自動運転車を目にすることも珍しいことではなくなっているようです。

 そのように公道で試験走行が行われている州では、法令を作ったうえで認められたそうです。その前には、多くの議論が交わされたようです。
 確かに一般車両と一緒に自動運転車が走るとなると、様々な問題が想定されると思います。それに想定していない事態も起こり得ると思います。
 試験運転といえども、法整備は欠かせないと思います。
 現時点では、あくまでも試験走行のための法令を作ったようですが、自動運転車が市販されるようになれば、そのための法整備が必要だと思います。

 個人的に、一度の法改正では済まないような気がします。
 実際に自動運転車が市販され、それが通常車両と共に公道を走るようになれば、それまで気づかなかった問題点がいくつも浮かび上がってくるような気がします。
 また自動運転車の性能も、どんどん進化し、それによって潜在する問題が変わると思います。
 どうなると自動運転車の性能の進化によって、法律も変えていく必要があるような気がするのです。

 ふと、それは自動運転車が出来る前から必要なことだという気がしてきます。
 道路環境や自動車の性能、社会の風潮などは、変わり続けていると思います。
 そうなると法律も変わっているべきだという気がします。
 日本の交通法規は時々変わっていると思います。
 またあまりにも頻繁に法律が変わっては色々と問題があると思います。

 しかし日本の交通法規は、交通実態や市民感覚に沿っていないと感じるときがあります。