2014年10月7日火曜日

倫理観が崩壊する前に

今の世界では、核兵器は無用の長物だと思います。
「無用の長物」とは、持っていても役に立たない物のことです。
その物が、高価だったり嵩張ったりするほうが、使われやすい言葉だと感じます。

 高価なものは、役に立たないからといって、なかなか捨てる気にならないものです。
 有料の貸金庫に預けるなど、持っているだけでもお金を払い続けていかなければならないとしても、捨てようという気が起きないこともあると思います。
 また、大きいものは捨てるのも簡単ではありません。処分するにもお金がかかるものです。
 なんとなく核兵器と印象が重なります。
“作るだけでもお金と人手が必要で、それを持ちつづけていくにもお金と人手がかかり、捨てようにもお金と人手を費やなければならならず、また使うことはないのに、手放す気にならない”

 現在この世界には、人類を何回も滅亡させるほどの核兵器があると聞きます。
 こうして書くと、ばかばかしいという気がしてきます。
 世界が滅亡するのは一度きりです。
 
「すべての核兵器を一斉に使うわけじゃない。それに核兵器といっても色々とある。威力に違いがあるし、運用法にも違いがある。それをひとくくりにして核兵器の総数でいうから多くなる」

「それに核兵器は持っていることで、抑止力になる。対立する双方が核兵器をもっていれば、お互いが使うわけにはいかない。実際そうして、これまで核戦争が起こらなかった。そして抑止力には、使うか使わないかは別にして、ある程度の数が必要だ。数はわかりやすいからだ」

 冷戦時代、東西陣営は核装備を競い合っていたと思います。
 運用法や破壊力などの性能も競って開発していたと思います。
 それによって東西の核兵器の性能は近くなったと思います。
 それだけに競争する要素としては、わかりにくいというか印象が薄くなりやすいと思います。
 やはり数は競い合う要素として、わかりやすいと思います。
実際、核兵器の数を競い合あい、それによってでどんどん増えていった感があります。
 そして結局、無意味なほどまでに増やしてしまったように見えます。

ただ無意味なほど数が多いとはいえ、複数の国が核兵器を持つことで抑止力になっていることは確かだと思います。
核兵器による先制攻撃を行えば、核兵器による報復攻撃を受けることになることが目に見えていると思います。
それに核攻撃に応酬になってしまっては、この世界は壊滅的な状況になるかもしれません。世界が滅んでしまうこともあり得ます。
どの国も核兵器を使うわけにはいかない、そういう形が出来ていると思います。

また核兵器は、あまりにも破壊力が強く、放射能の影響が広範囲に渡るため、軍事施設だけをつぶすことは難しいと思います。
それは、多くの民間人が犠牲にならざるを得ないということになります。
現在の国際社会は、それをゆるさないと思います。

そうなると核兵器は、あらゆる兵器の中で最も現在の戦争に適さないといえるような気がします。
ただし、世界を道連れにして自滅しようとするテロリストや、自暴自棄に陥った独裁者や、破滅思考に囚われた軍人などにとっては、核兵器は目的にかなうものになるかもしれません。

そのような人物に使われてしまう、それは現代の核兵器がもつ危険性の一つだという気がします。
そう考えると、そのような人物がいそうな地域にある国は、核兵器を持つことの危険性が高まるということになると思います。

もし軍を巻き込んだ政変がおきると、核兵器の管理に問題が生じることもあり得ると思います。
近隣で政情が変わることや、戦闘行為が行われ、テロリストが台頭しているようでは、その影響を色々な形で受けると思います。
そうなると、そのような地域で核兵器を保有することとは、デメリットが大きいと思います。
危険性が高いことはデメリットだと思います。
危険性が高いため、管理に力を注がなければならないこともデメリットだと思います。
 しかし、核兵器をもっていても、使うわけにいかないのですから、メリットは思いのほか小さいと思います。

 中東でこれから核兵器を持つことは、政治的にも軍事的にも、利点が極めて小さいと思います。危険性を背負い、それに備えるだけでも、国の足を引っ張ると思います。
 政治的に見れば、そんな核兵器を開発するよりも、経済を良くする方が、よほど国のためになると思います。
 軍事的に見れば、使い道のない核兵器に金を割くよりも、通常兵器の装備を充実し、兵士の待遇をよくする方が、よほど国のためになると思います。
 ただどこの国にも、政治や軍の上層部に、考え方の古い人間や、頭の固い人間がいるものだと思います。

 人類はいつか、自分で認識できぬまま人命に関する倫理観を崩壊させるかもしれません。
 倫理観が崩壊すると、核抑止力はその効果が大幅に弱くなるような気がします。

 そう考えると、人類がまだ倫理観をもっているうちに、核兵器を減らしておくべきだという気がします。