2014年10月27日月曜日

モノの価値

「華氏451度」というSF小説は、当局によって本が燃やされる世界を描いています。
ここで物語の内容に関して書きますので、知りたくない人は“情報偏重社会”と書いた行まで飛ばしてください。
この物語の世界で禁じていることは、『考えること』『思想をもつこと』それらを『記録に残すこと』だと思います。
当局は、本というモノをなくしてしまうことで、それらを封じたのだと思います。

本は、『考えさせるモノ』であり、『思想や主張を持たせるモノ』であり、『様々な記録を残すモノ』であるということです。
作中で当局に反抗する人たちは、本というモノを用いずにそれらをやろうとします。
 人間の脳だけでやるのです。本の内容をすべて覚えてしまうのです。ただ主人公は、それに少し釈然としないものを感じているような気がします。

“情報偏重社会”
『とにかくデータさえあればいい』
 近年そのような風潮を感じます。
『重要なのは本というモノではなく、書かれた内容であり、それをデータとして保存し、必要に応じて取り出せばいい』

この風潮は、これからも続くと思います。強まり続けていくと思います。
 ただ個人的に、情報だけを重要視する風潮は少し過剰だと感じています。
人間は、手で触れられ目で見える形で記録され保存されているほうが、重さや大切さを認識できるような気がします。
また“偏重”には、揺り戻しがあることが多いと思います。
いつになるかわかりませんが、いずれ再び紙媒体というモノが、思考にとっても、思想にとっても、記録にとっても、重要視されるような気がします。

 そうなると、紙媒体を供給し続けていくことが必要だと思います。
 まだ当分はデータ偏重志向が続くと思いますので、紙媒体の需要は減っていくと思います。
 しかしそこで供給をやめてしまうと、紙媒体が見直される機会を減らしてしまうような気がします。
 またもし将来紙媒体が見直されても、その時にはもう供給されなくなっていたのでは、需要は起きないと思います。
 
 つまり紙媒体は、当面売れる数が減っても、売り続けるべきだという気がします。
 資本主義経済の下で、売れる数が減っていながら売り続けるためには、値段を上げなければならない場合が多いと思います。
 値段をあげるには、付加価値を付けるということが一つの方法だと思います。
 また付加価値が、販売数の減少を抑える可能性もあると思います。

 最近の雑誌は付録を付けることで、販売数量が増えていると聞きます。多くの人が欲しがるものを付録につけることが出来たのだと思います。
付録は付加価値の一つだと思います。この場合は、価格を上げることよりも、売れる数を増やすことに大きく貢献しているようです。
それにしても、雑誌に別の価値を上手く乗せられたと感じます。

雑誌ではなく書籍の場合、あまり奇をてらうと効果がないような気がします。
モノの価値としてみると、書籍は雑誌より高いと、多くの人に認識されていると感じます。本はモノとしての価値が、ある程度認められているような気がするのです。
そんな本に付加価値を付けるなら、本というモノの価値を高めるやり方の方がいいような気がします。
装丁などに工夫を凝らし、読みたくなる本(モノ)を作り、また所有したくなる本(モノ)を作ることは、付加価値を付け方の一つだと感じます。

新聞の場合、元来モノとして価値が、書籍や雑誌より低く認識されていると思います。
ただモノとして存在していることそれ自体が、インターネットのニュースにはない価値だと思います。
それはこれからしばらくの間、認められないと思いますが、いずれモノが見直されるような気がします。

新聞を切り抜いて綴じている人がいると聞きます。
僕は人生で一度もやったことはありませんが、過去のニュースを読み返すことで、何かを感じ何かを得ることがあるのだと思います。
また手間をかけることや、綴りがたまっていくことに、楽しみを感じるような気がします。

しかし新聞の切り抜きをしている人は、昔より減っているような気がします。
やはり面倒だと思いますし、切り抜きがたまると嵩張って邪魔になるような気がします。

ただインターネットでも、気になったニュースを保存するのは面倒なものです。
それに『過去のニュースなんて、もし必要になったらその時に検索すればいいや』、とはなから保存しておこうとは考えないものだと思います。
しかしインターネットで過去のニュースを探すのは結構大変で、時間と手間がかかってしまいます。
自分が気になったニュースをデータベースに保管し、ジャンルや年代によって検索することが簡単に出来る、そんなニュースサイトがあったらいいのにと思うことがあります。

新聞はニュースを形あるモノとして、保存することが出来ると思います。
新聞は報道媒体として、手軽さや費用面や即時性ではインターネットに到底かなわないと思います。
それならば、モノとしての良さを最大限に引き出すにはどうすればいいのか、それを考えたほうがいいような気がします。

紙面の大きさや記事のならびかたなど、既成の観念にとらわれず、ニュースごとに綴じることを前提とした紙面つくりなどは、一つの案だと思います。
また綴じやすく、整理しやすく、必要に応じて取り出しやすいファイルやキャビネットを、異業種と連携して提供することも挙げられます。
それは、保存することを供給する側が手助けすることになると思います。

情緒的にも実務的にも、紙面の大きさや構成をすぐに変えることはないと思いますが、今ならまだ、様々な案を出し合い、異業種との連携を模索し、市場調査や試行錯誤や社会実験をする時間があるような気がします。


また新聞が付加価値として利用できる大きな要素は、毎日配達していることと、その仕組みが出来上がっていることだと思います。