2015年5月25日月曜日

犯罪者に仕立て上げること。事件をでっちあげること

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2015年5月 25日「犯罪者に仕立て上げること。事件をでっちあげること」

概要
『犯人に違いない』と確信があっても、確たる証拠がないため、自白を強要することがあると思います。
そうではなく、警察官が『犯人ではない』とわかっていながら自白を強要することもあるかもしれません。
どちらにせよ、無実の人に社会的不利益や身体的苦痛を与えるだけでなく、真犯人の逃亡に加担することになると思います。それは大きな罪だと思います。
もし警察官が、無実の人を犯人に仕立てることで何らかの利益を得たなら、それは極めて悪質な罪だと思います。
 しかし『取り調べの違法性』を問われることはあっても、『無実の人を犯罪者に仕立て上げる』それ自体を法的に問われることはないと思います。
 また、警察官が実際にはありもしない事件をねつ造し、その犯人として無実の人を捕え、自白を強要して犯罪者に仕立て上げる、もしそんなことがあったとすれば、それは警察官である以前に、人としてあまりにも卑しい行いであると思います。“事件のでっちあげ”は罪だと思います。法治国家であるのならば、罪は刑法で裁かれるべきだと思います。
『警察官が委縮して、厳しい取り調べが出来なくなる。それによって本当の犯罪者を司法の場に送ることが出来なくなる』それは論点が違うような気がします。
罪を犯した人間にそれを認めさせるやり方と、無実の人を犯罪者に仕立て上げるやり方は、おのずと違うと思います。もし混同しているとしたら、警察は根本的に考え方を見直すべきだと思います。
警察は閉鎖的でありながら、巨大な組織だと思います。そして法的な権限を持っており、それだけに自浄能力は低いと思います。
批判されるほど、批判に対して真摯に向き合うことはなく、閉鎖性を強め自浄能力を弱めていくことになりかねないと思います。
そうなると、実効性を持つ、独立した監視機構が必要になると思います。