2015年8月11日火曜日

靖国

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2015年8月 11日「靖国」


概要
 神社に参拝することが宗教上の行為であるなら、他者から批判されるいわれはないと思います。しかし現在『靖国神社参拝』は、それ自体が外交における重要な要素になっていると思います。それは外国による戦略だったようにも見えますが、もはや日本人の宗教観で論じられる事柄ではないと思います。
 また政治家の靖国神社参拝は、国内においても政治的な意味を帯びていると思います。どれだけ宗教的な行為だと主張しても、政治的な意味合いがないとはいえないと思います。政治家ならば、参拝をするかしないか、政治的に判断するべきだと思います。
 世の中には『国のため』と『個人ため』が、相反することがあると思います。ただ、国がなければ国民もなく、国民がなければ国もないと思います。そうなると、国のために、国民が堪えなければならない状況もあると思います。
しかしかつての戦争では、戦局が悪化するほど、国は国民に対して『お国のために戦え』というではなく『お国のために自ら死ね』と命じたのだと思います。
それは軍事的にも、政治的にも、明らかに間違っていると思います。国民が減ることは国力を弱めることになると思います。兵士が減ることは軍を弱めることになると思います。しかし国は、お国のために国民を自ら死なせるために、国民の心理を誘導したのだと思います。国が民主的な体制ではなかったため、そう難しいことではなかったと思います。『靖国神社で会おう』という言葉は、そういう心理的誘導をおこなう道具の一つだったと思います。
『お国のために自ら死ぬ』それを肯定し、美化している人もいると思います。そう公言して靖国神社に参拝する人もいると思います。
 個人的に明らかに間違った信念だと思いますが、強い信念を持っていることは感じます。
みんなで仲良く群れて参拝し、マイクを向けられると、毎度おなじみの聞き飽きた言葉を発する政治家からは、個人的に微塵も信念を感じません。