2015年8月4日火曜日

『動物がかわいそう』

エムズ日記は電子書籍で販売しています。
全文はそちらで。


2015年8月 4日「『動物がかわいそう』」

概要
人間は、なにが『幸せ』で、なにが『かわいそう』なのか、一概にいえないような気がします。
同じ環境でも、自分を可哀想だと感じている人もいれば、一切そう思いっていない人もいれば、むしろ楽しんでいる人もいれば、他者から可哀想だと思われたくない人もいると思います。
 それが動物となると、何が『幸せ』で、何が『かわいそう』なのか、人間には判断できないと思います。
『自らの足で大地を駆け巡ることが幸せなのか。それはエサを取るためだったり、外敵から逃げるためだったりするのに』『日よけつきのバギーに乗せられて移動することは可哀想なのか』『労せずとも毎日必ずエサにありつけ、病気になれば治療をしてもらえる。そんなペットは幸せなのか』
『動物園で見世物にされることは可哀想なのか』『動物園で毎日エサを与えられ、外敵に襲われることもなく、病気になれば治療してもらえる。それはしあわせなのか』
動物の種によっても違ってくるかもしれませんし、同じ種の動物でも、個体によって違うかもしれません。しかし、そもそも人間には判断出来ないと思います。
人間と他の動物では、感じ取る器官も、感覚を発する脳も大きく違っていると思います。あらゆる器官が違っているのですから、人間が他の動物と同じように感じることは不可能だと思います。
しかし人間は、人間の観念や、人間の概念や、人間の感覚を、勝手に動物に投影するものだと思います。そして勝手に『かわいそう』だと感じることがあるような気がします。それは結局『人間様による上から目線であり、人間様の自己満足に過ぎない』のかもしれません。
 本心から動物のためだと考えている人もいると思います。また『動物がかわいそう』という感情を持つこと自体、人間の情操にはとてもいいことだと思います。

 ただやはり、人間目線を勝手に動物に押し付けていると感じます。思考に深みが感じられず、思慮が浅いという印象を受けることがあります。