2013年12月16日月曜日

争いが果てない理由



 人間は自分を嫌っている人を好きになれるものではないと思います。嫌いになることが多いと思います。
その”嫌いになられた”相手も人間です。嫌いになられたら、さらに嫌いになると思います。
果てしなく、お互いを”嫌いあう”ことになることもあると思います。

怒りは思い返すほどに高まると思います。怒りは発するほどに高まると思います。
高まった怒りは他者にぶつけることがあると思います。
怒りをぶつけられると、その相手に対して怒りをぶつけ返すことも多いと思います。
その怒りを受けて、さらに怒りは高ぶるものだと思います。

個人と個人、集団と集団、国と国、あらゆる関係において、様々な争いがあるものだと思います。
ただすべて人間同士の争いです。
そこには感情が関わっていると思います。
『嫌いだ』という感情、『怒り』の感情が大きく作用しているような気がします。双方がその感情をぶつけ合うことで、お互いに高ぶらせていくものだと思います。

そして争いは激化すると思います。
相手をどんどん嫌いになり、怒りを強め、争いは止むことなく、激しくなりつづけると思います。
多くの血が流れることもあると思います。
『延々といがみ合い、果てしなく争い、双方ともそれで何かを得たの?』
失うばかりだと見えることがあります。

ずっと昔から、政治家は国民の感情を利用しようとしてきたと思います。『嫌いだ』と感じさせ『怒り』を持たせようとしてきたと思います。
しかし民衆の感情を操作、制御することは難しいものだと思います。
現代は情報技術が発達し、民衆の心理を操作することも、制御することも、予測することも非常に困難になっていると思います。

そして、民衆の力が状況を大きく動かすこともあると見られます。それは必ずしも、民衆にとって喜ばしい事態をまねくとは限らないと思います。
しかし、予測も操作も制御も出来ないと思います。
それだけに、政治において国民の『嫌いだ』と『怒り』の感情を利用しようとすることは非常にあやういことだと思います。

また、損得で考えても、得することは少ないと思います。
しかし、『嫌いだ』と『怒り』を高ぶらせてしまうと、それは強まるばかりだと思います。
静める事は簡単ではないと思います。

以前この国の人たちは、隣の国の人たちから、こんなに嫌われているとは思っていなかったと感じます。
お隣として親しみを感じながら、時に競い合う気持ちもあったように感じます。
ただそこには、どこか優越感があったと思います。そのような場合、相手は見下されていると感じることもあると思います。

また、この国の人たちは、過去のことは過ちだったと考えていると感じます。謝らなければならないことだと考えていると感じます。
ただどこか、自分たちも被害者であり”かわいそうなのだ”という感覚があるようにも感じます。それに、過ぎ去ったことであり、自分との関わりは薄いと感じているような気がします。

それでも隣とは仲良くやっていけるものだと感じていた印象があります。
しかし国のリーダーが島に上陸したことをきっかけに、嫌われていることに気付かされたと感じます。
それが嫌われていると気付いたことで、隣の国や、その国の人に好ましい印象を持ちつづけることは出来ないものだと思います。
人間は自分を嫌っている人を嫌うものだと思います。
お互いを嫌うことで、その感情は強まり続けたと思います。

また、以前この国の人たちは、島の領有権問題があることを知らない人も少なくなったと思います。
『そういえばなんとなく聞いたことがあるかな。昔から北方領土はよく聞くけど、その島の名前はあまり聞かないよね』

国のリーダーが島に上陸したことで、この国の人たちは領有権問題があることを気付かされたと感じます。
国のリーダーが島に上陸したことで、どの国が実効支配しているのか知った人も少なくないと感じます。

国のリーダーが島に上陸したことで、国と国の関係や、国民の感情は大きく変わったという印象があります。
それは、それぞれの国に何をもたらしたのだろうか、と考える必要があると思います。
リーダーが上陸する前と、その後と比べて、それぞれの国は何が得られたのか、何を減らしたのか、国はよくなったのか、国はよくならなかったのか、国は悪くなったのか、考える必要があると思います。

過去も現在も、国民に『嫌いだ』と『怒り』を高ぶらせる政治手法は、”いいこと”を生まないことが多いと思います。
大抵の場合、得することはなく、損ばかりしていることになると思います。
双方が『嫌いだ』と『怒り』を強めあっては、双方に”いいこと”はないと思います。
怒りをぶつけられても、『怒り』を返すことは控えたほうがいいと思います。『怒り』をあおることは控えたほうがいいと思います。それが国のためになると思います。