2013年12月21日土曜日

クリスマス中止のおしらせ



 毎年インターネット上に「クリスマス中止のおしらせ」なるものが見られるそうです。先日テレビで取り上げていました。
昨年の今頃クリスマスやトナカイについて検索したときに、「クリスマス? なにそれおいしいの?」という言葉を目にしたのですが、「中止のおしらせ」はみませんでした。
そこで今回インターネットで検索してみました。

検索結果の一番目に表示されたサイトをみると、ここ数年間の「クリスマス中止のおしらせ」が書かれていました。
そのサイト一つしか見ていませんので、あまり詳しいことはわからないのですが、この時期になると、インターネットの掲示板や投稿サイトに「クリスマス中止のおしらせ」が書き込まれるようです。

数年間分、まとめて書いてありましたのでそれを読むと、「クリスマス中止」とはどういうことなのかは書かれていません。「中止になりました」という告知文です。
それぞれに、その年の世相を反映したもっともらしい理由がつけられています。
それが”いかにもそれらしい”書き方なので、思わずにんまりしたり、”なるほどね”と感じたりしました。

そのような「おしらせ」はクリスマスに恋人のいない人が、『クリスマスなんてなければいいのに』という思いを込めて発信しているという体になっているようです。
恋愛と関わりなくクリスマスを過ごす人が、恋人同士でクリスマスを過ごす人たちに対する”ひがみ”や”ねたみ”や”うらやみ”や”あこがれ”や”あきらめ”や”ひらきなおり”や”いじけ”や”ひねくれ”などを、「クリスマスは中止します」という言葉に込めているようです。

日本ではクリスマスと恋愛を結びつける風潮がすっかり定着している感があります。
僕は外国のことはわかりませんが、子供のころはそのような雰囲気はなかったと思います。クリスマスはキリスト教の行事という感覚が、今よりも強かったような気がします。
『信者じゃないんだから、関係ない』そういう声も聞かれていた覚えがあります。

おそらく今の日本でもそのように考え、クリスマスになにもしないという人もいると思います。 しかし僕の子供のころにくらべて格段に少ないような印象を受けます。
あの頃は、宗教に対してそれほど強い信念をもっているわけではない一般家庭でも、『うちはキリスト教じゃないんだから、クリスマスは関係ないよ』ということもあったような気がするのです。
それが次第に、世間全般でクリスマスを騒ぐようになっていったと感じます。
それに伴って、宗教に関することだという感覚が薄らいでいったような印象があります。
それには商業的な思惑も少なからず絡んでいたと思います。ただそのような思惑は、誰もが単純に乗せられているわけではなく、商業主義だとわかった上で乗っかっていることが多いと思います。
『業界が儲けようとしていることなんで百も承知だけど、楽しいことなら乗っかっちゃおう』

そして、多くの家庭でクリスマスを楽しむようになった感があります。それでも恋愛とはあまり深く繋がっておらず、家族で楽しむ風潮が強かったような気がします。
クリスマスは”子供たちが喜ぶ日”であって、”恋人たちのイベント”という雰囲気はなかったように思います。

ではいつごろから、クリスマスと恋愛が関連付けられるようになったのか思い起こしてみると、やはりバブル景気のころに、一気に高まった感があります。
今でも、あのころのCMが話題になることがあります。
ただ記憶を辿ってみると、たしかにクリスマスと恋愛が急速に結び付けられたのは、バブルのことだったように思いますが、それ以前から徐々に近づいていたように思われます。

バブル前、僕が学生だったころ、クリスマスと恋愛が繋がりはじめていたような気がします。
もう随分前のことですので記憶が薄らいでいますが、少女マンガなどでクリスマスを舞台にしたものが見られるようになってきた覚えがあります。
もしかしたら、それが今日のクリスマスと恋愛の空気感のはしりだったのかもしれません。

聖夜の雰囲気は、恋愛と相性がいいのだろうと思います。
清らかさや静けさを感じさせ、さらにどこかおごそかな雰囲気があるクリスマスの夜は、恋愛の舞台によく似合っているような気がします。
また、きよく、おごそかであるということは、恋愛そのもののイメージと重なりやすいようにも思います。
日本では宗教の行事としての認識がはじめから薄かったため、クリスマスと恋愛のイメージを重ねやすかったように思います。