2013年12月3日火曜日

『なくてもいい』と『ないほうがいい』



『こんなものいらない』といわれるには、何かしらの理由があるものだと思います。
ただ人間社会は本来多様なものだと思います。『いらない』という人もいれば、『絶対にいる』という人もいれば、『なくてもいい』という人もいれば、『あってもいい』という人もいると思います。
それは『自分にとって都合がいい』とか『自分が得する』という理由もあると思います。また『全体のため』とか『国にとって』と考えている人もいると思います。

『参議院なんて衆議院と同じことをやってるだけじゃないか』
ずっと前から、そんな声を聞いていた感があります。
『参議院が反対するから決まらないんじゃないか』
数年前から、そんな声を聞いていた感があります。
『参議院なんていらない』
そんな声も耳にします。

『与党が過半数をしていれば、参院なんて意味がないって言いやがるし、野党が多数を占めていれば決められない政治の元凶みたいに言いやがる』
『賛成しても、反対しても、参議院なんていらないと言うじゃねえか』
そのような雰囲気を感じさせる発言を耳にすることがあるような気がします。
参議院議員にとっては自分の存在を否定されているように感じることもあるでしょうから、『いらない』といわれれば、反撥するのは当たり前のような気がします。

しかしそれらの声を聞いていると、ごく自然に行きつく考えがあるような気がします。
『どっちにしろいらないって言われるんだろ。そりゃ本当にいらないってことじゃねえか』
『なんで、どっちにしろいらないって言われんのに、なくさねえんだよ』
『何かしらないけど、とにかく”いる”んじゃないの』
なんとなくそのような印象をもつ人もいると思います。

『政治家が”なくす”ことを決めるんだから、自分たちを無くすわけないじゃん』
そう考える人もいると思います。
『つうことはさ、国民にとっては”ないほうがいい”けど、政治家にとっては”あったほうがいい”ってことになるんじゃねえの。だから、なくならねえってことになるよな』

今の参議院のあり方では、『なくてもいい』と感じる人がいると思います。『ないほうがいい』と見る人もいると思います。
取り急ぎ改革しなければならないことすら、その取り組みが進んでいるようには見られないと思うひともいるような気がします。

”改革などやる気がない”
理屈ではなく、そんな印象をうけている人がいると思います。

”やる気がない”という印象を受けるのに、『ちゅんとやっているんだ』といわれても、口先だけだとしか感じられない人もいると思います。
そうなると、政治ではないところから厳しい言葉を向けられるのは仕方ないと思います。
それに対して『黙ってろ』という雰囲気の言葉をむけるようでは、やはり真摯に改革に取り組んでいるようには感じられない人もいると思います。
本当のことを指摘されると、人は腹立たしく感じることがあると思います。

『政党間で思惑がぶつかるため、議論が進まない』
今では、それは言い訳にならないと思います。すでにわかりきっていることだと思います。しかもずっと前からわかりきっていることだと思います。わかりきっていることなら、対処するべきだと思います。対処すべきことを、対処していないのは言い訳にならないという見方があると思います。
そのような言い訳は、民間の会社の業務や、なにかしらの団体や組織なら、通用しないこともあると思います。
厳しい叱責を受けることもあると思います。
『理由なんてわかりきってんだろ。しかもずっと前からだ。わかりきっているのだから、さっさと手を打って進めるべきだろうが! 意見がぶつかってますだあ! 当たり前だ。そうなることくらい、誰だって目に見えてんだろうが。じゃあどうするかってことからはじめるもんだ。それが今までいったいなにをしていたんだ! 話がまとまらないから何もしませんでしたってか? いつまでそれで通ると思ってんだ! お前には結構いい給料払ってんだぞ。わかりきっている理由を言い訳にして結果を見せられないなんて、怠慢だといわれても仕方ないだろ! 怠慢でしかも無能だ! そういわれても仕方ないだろうが! そんなんだから、”お前なんていらない”っていう目でみられるだ!』
最近の民間企業では、このような言い方は少なくなっているかもしれません。ただかつては、このような言葉を耳にすることは、それほどめずらしいことではなかったと感じます。
それに、昨今は競争が激化している業界もありますので、そのような言葉が発せられることもあるかもしれません。
政治家は厳しい言葉を向けられても、聞いていないのかもしれません。聞く気がないのかもしれません。