2013年12月2日月曜日

一票の格差



 多数決は、とてもわかりやすい民主的な決め方だと思います。
人間社会は本質的に多様なものだと思います。それでは意見の対立があるのが当たり前だと思います。
色々な意見の人が集まって社会を作っているのですから、全体として決めなければならないことはたくさんあると思います。
全体の決まりごとや、全体として何をやるか、などです。
そのようなことを決める際、多数決は民主的な決定方法だと思います。

ただその『全体』を『国』という大きさにで見ると、国民全員で多数決をとることは難しいと思います。
そこで国民全員ではなく、年齢などで多数決に参加できる人をある意味で少し絞り込んでいるのだと思います。
絞り込むということで、多数決に参加することが『権利』になったといえるかもしれません。

その『権利』を持つもので多数決をとるのですが、国全体で決めなければならないことは、非常にたくさんあると感じます。
そのすべてにおいて、権利を持つもの全員で多数決をとることは現実的に見ると、出来ないような気がします。

そこで全員ではなく、国民の代表者が国全体のことを決める仕組みがあると思います。
直接多数決をとるのではなく、多数決で代表者を決める仕組みだと思います。
『権利』は、代表者を決める際に使われるということです。
つまり、まず国民は選挙という多数決で代表者を選び、その代表者同士が話し合い最終的に多数決で決定を下す仕組みだと思います。
『多数決で選んだ人たちによる多数決で決める』のですから、間接的な多数決といえるかもしれません。
その仕組みは多くの国で取り入れられているように見られます。

多数決を重ねることで、間接的ではありますが多くの人の意思を反映させることにはなると思います。
しかし『間接的な多数決』では、代表者の選び方によって『全員よる多数決』と同じ結果にならない可能性があると思います。

ある人は、選挙という多数決の結果、5千人の人から票を得て代表者になれたとします。
別の人は、別の地域での選挙の結果、5万人の人から票を得ても代表者になれなかったとします。
そうなると、5千人の意思が反映されて、5万人の意思が反映されないことになる、という見方もあるように思います。
多数決とは、多い人の意見が採用されるものだと思います。
しかしそうなっていないように感じます。
それでは民主主義に反しているという声もあると思います。

では、なぜそのようになるのか考えて見ます。
5万人のなかから1人を選ぶ地域では、立候補者の人数など場合によっては、5千票を得て当選することがあると思います。
100万人の中から3人を選ぶ地域では、立候補者の人数など場合によっては、5万票を得ても落選することがあると思います。

5千票を得た代表者も、10万票を得た代表者も、国会では一票を持つ一人の議員ということになるのだと思います。
それでは、選挙という国民全員の多数決が、国の意思決定に反映されていないこともあり得ると思います。

もし地域から代表者を選ぶのではなく、国全体を一つとして代表者を選んだら、結果は違ってくると思います。
ただ国は都道府県単位で行われていることや、定められていることが色々とあると思います。
また国は都道府県を束ねることもあると思います。国が都道府県に振り分けるような事柄もあると思います。
ある地域によっては利する国策が、別の地域ではそうではない場合もあると思います。

そうなると、国のことを決めるには、地域の代表者が必要だと思います。
そうなると、政治家には『国民の代表者』でありながら『地域の代表者』でもあることが求められるのだと思います。
そうなると、地域ごとに代表者を選ぶことになると思います。

ただ、地域によって暮らしている人数が違っています。そんななかで、地域ごとに代表者を選ぶのですから、地域によって集まった票の数が違わざるを得ないと思います。
しかしそのために、国民全体による多数決が、国の意思決定に反映されないこともあると思います。

こうしてみると、国会議員とは『国民の代表者』であるべきなのか、『地域の代表者』であるべきなのか、考えなければならないような気がします。
その両方が必要だと思いますが、それにしてもどちらに重きを置くべきか考えなければならない時が来ているような気がします。