2013年12月30日月曜日

一大政党制



「非自民」という言葉を頻繁に耳にするようになったのは、二十年ほど前だったようです。
長い間、大きな一つの政党が政権につくことが当たりまえのようになっていた感があります。
それに対する反撥や批判が強まってきたのだと思います。
一つの大きな政党に対抗するには、それ以外のいくつかの政治勢力が手を組むことが必要だったように思います。
そこで「非自民」、つまり”自民党ではない”複数の政治勢力が集まったのだったと思います。

国会に拮抗する二つの大きな政治勢力がある状態を「二大政党制」ということがあります。勢力が拮抗しているのですから、政権が変わることもあると思います。
そうなるとその大きな二つの政党は、お互いに国民から支持を得ようとするため、国の政治がよくなるという考えがあるのだと思います。

世界の中には、長い間「二大政党制」を実践している国があると聞きます。
日本もそれに倣うべきだと考える人もいるのだと思います。
今の国会は、一つの大きな政党が政権の中心になっていると見られます。その前に政権交代があったものの、それによってこの国の政治がよくなったと感じている国民は少ない印象があります。

20年も前に「非自民」という言葉が聞かれるようになったのに、実効的な二大政党制にならないということとは、二大政党制がこの国に適していないという証だと感じます。
そうこうしているうちに社会も変わっていると思います。20年も経てば変わるのは当たり前だと思います。20年前よりは、ずっと複雑になっていると感じます。小さな声も影響をもつようになり、社会は非常に多様化していると感じます。

二大政党制が根付いている国でも、それでは対応しきれなくなっていると感じるときがあります。
まして20年たっても二大政党制が根付かなかった国が、これから二大政党制を目指しても、これからの社会に適した政治体制にはならないような気がします。
それでも「二大政党制」にしがみついているのは、他の政治体制を構築することが難しく、実効的な体制を考えられないからかもしれません。

ここでは何回か書いていますが、多様化し複雑する一方の社会では、対立軸も、その構造も一対一にするには無理があると思います。
そうなると、勢力が近しい複数の政党による議会運営が必要だと思います。しかし実効的な多党制となると、制度によって作り出すことは難しいと思います。政治家から利害や権力欲などを廃することが出来ないことはその理由の一つだと思います。

しかし制度によらず、多党制的な議会運営になるような状態もありうると思います。
個人的に少しまえにそうなることを期待したことがありました。
前回の衆院選では、当時の与党が惨敗することは、多くの人が簡単に予想できたと思います。それは選挙が早まろうが、任期ぎりぎりまで遅らせようが、大して変わらなかったと思います。
ただ当時の与党に入れたくない票が流れる政党がなかったように感じます。一時「第三極」がもてはやされましたが、選挙が近づくほどに存在感を弱めたような気がします。
また、当時最大野党のリーダーの交代は、その政党の存在感を高めることになったと感じます。

そのリーダー交代の何ヶ月かまえから、「第三極」の圧倒的な勝利はまずなくなったような気がしました。当時与党の惨敗はまず間違いないと感じましたが、いくらなんでも議席一桁まで落ちることはないような気がしました。
そうなると衆院選は出来るだけ先に延ばし、「第三極」なる勢力が2~3党つくられ、それぞれに支持率を高められてから選挙を行えば、勢力の近しい3~4つの政党が出来るのではないかと思いました。

今の選挙制度は、どちらかを選ぶような選挙になると、片方に寄った結果になりやすいと思います。しかし、複数の勢力が拮抗していると、当選者の政党が分散することもあり得ると思います。
また衆参同日選ならば、両院が同じような選挙結果になる可能性が高いと思います。つまり衆院、参院ともに勢力が近い複数の政党が出来ることもあったような気がします。
そうなると連立政権をつくることになりますが、あのころから”政策ごとに連携することが必要”という声が聞かれていたと思います。
連立政権も複数の政党からなり、両院とも議席数の近しい政党がいくつかあるのなら、協調や連携しなければ国会運営は出来ないような気がします。
そうなると、現行の選挙制度のまま、実効的な多党制が出来るのではないかと考えました。

実際にはそうはなりませんでした。
ただ以前書いたことがありますが、衆院選、参院選、どちらも本当の意味で惨敗したのは「第三極」だったような気がします。さらにいえばその中心にいた人物だったような気がします。それはその人物の政治家としての資質の度合いを表しているような気がします。