2013年12月27日金曜日

なんのため



 他の国からとやかく言われることではないかもしれません。
しかし、他の国からとやかく言われる材料になっているのが現状だと思います。
外交問題にするべきではないかもしれません。
しかし、外交問題の材料になっているのが現状だと思います。
個人の信仰の問題かもしれません。
しかし、一国のリーダーであるならば、外交問題になる事柄だと認識しなければならないと思います。

外国の人たちは誤解しているかもしれません。過剰に反応しているのかもしれません。外交問題にするために感情を煽っているのかもしれません。
しかし、それが現状だと思います。
丁寧に説明するしかないのかもしれません。
しかし、それで改善できる状況ではないと思います。それが現実だと思います。一国のリーダーならば、それで改善できる事柄ではないことだということをよく認識しなければならず、その上で行動するべきだと思います。

国のリーダーは、外交における戦略性のなさを世界に示したのかもしれません。
離れた国から見れば、一国のリーダーのとるべき行動ではないと見えるかもしれません。
つき合いやすい国にばかり行き、やりやすい外交の成果ばかりを自慢し、難しい問題については、さらに難しくしていくばかりだと見えているかもしれません。
何を優先することが国のためになるのか、本当に考えていると見られないかもしれません。
一国のリーダーとして、資質の一つが低いと見ているかもしれません。

政治家から、行かなかったからといって他の国との関係がよくなるわけではないという声が聞かれます。
しかし、行けば関係はさらに悪くなることは確かだと思います。関係が悪くなる理由を増やすことになるのは確かだと思います。
国内問題だと言い切ればいいのかもしれません。
しかし、外交は相手があることですので一方が言い切ったのでは、それ自体がより関係を悪化させる材料にもなり得ると思います。

相手の態度や振る舞いが気に入らないから、配慮する必要などないという考え方は、個人と個人の関係においても、よい結果をもたらさないことが少なくないと思います。
その考え方を国と国の関係に用いる政治家は、離れた国からみれば政治家としての資質が低いと見えるかもしれません。

確かに現状では関係が改善する気配はないものの、以前よりは反感が治まりつつあった感があります。
そんな空気が感じられ時期に行くことは、外交としてみると戦略的ではないと思います。 
また配慮する必要はないなどと発言するのは、政治家としての評価をさらに下げることになるかもしれません。

亡くなった人の気持ちは、生きている人が勝手に解釈をつけることがあると思います。
明確に意思を残していることもありますが、それをせずに命を落した人は多いと思います。
明確に自分の意思を表すことがゆるされなかったこともあったと思います。

「日本のため」「国のため」まずそのような言葉が発せられています。しかしそれが祀られている人、全ての気持ちではないと思います。
大切な誰かのためだと信じて命を落とした人もいたと思います。
「生きたい」「戦いたくない」「戦争でなんて死にたくない」そう思っていたのに、国によって無理やり戦場に送られ、そこで戦死した人のなかには、「国のために命を落とした」などといわれたくないと思っていた人がいたかもしれません。
空襲で命を落とした民間人のなかには、「政治家が戦争なんてしなければ、こんなに熱くて、痛くて、苦しい思いをしながら死なずに済んだかもしれないのに。国ためなんかで死にたくないのに。もっともっと生きたいのに」と思いながら果てた人がいたかもしれません。
「国のために死んだなんて言われたくない」
そう思っていても、その意思を残すわけにはいかなかった人もいたと思います。
「国のためなんかで死にたくない」
そう思っていても、それを口に出すことが許されなかった人がいたと思います。

「国のために最後まで戦いたい」
そう考えていた人もいたと思います。
「国のために喜んで命をささげます」
心からそう言っていた人もいたと思います。
過去の戦や戦争で命を落とした人たちには、一人ひとりその人だけの想いがあると思います。
その人たちを一まとめにして、「国のためだった」としているのかもしれません。
命を奪われた人たち一人ひとりの気持ちを顧みるのではなく、「国のため」とひとつにまとめてしているように見えるかもしれません。
それは、亡くなった人の尊厳を重んじているとはいえないかもしれません。
むしろ軽んじていると感じる人がいるかもしれません。利用していると感じる人がいるかもしれません。亡くなった人に対する冒涜だと感じる人もいるかもしれません。
国のリーダーが、「国のために犠牲になった人たち」とひと括りにするのはよくないような気がします。