日本製のモデルガンはとても完成度が高いと聞いたことがあります。
日本は精密なものをつくる技術に長けており、それが生かされているのかもしれません。また日本人は精巧に作られたものを好む傾向があるような気がします。
拳銃の基本構造は機械的だろうと思います。電子部品などが使われているわけではなく、金属部品を組み合せているということです。
あまり専門的なことはわかりませんので、勘違いや認識不足があるかもしれませんが、ばねや“てこの原理”などを利用した金属部品によって銃は出来ているような気がします。
「メカニカルな構造」をしているといえるかもしれません。日本人はそれを好む傾向があり、それを作ることに適しているような気がするのです。
それに、実銃を持つことが法律で規制されていることも、日本製のモデルガンの完成度が高い理由の一つのようです。
本物の拳銃を手にすることが出来ないため、モデルガンを本物の近づけようと努力されてきたということです。
本物の拳銃に対する憧れが、日本製モデルガンを精巧にしたのかもしれません。
以前書いたことがありますが、僕も若いころはモデルガンに興味がありました。エアガンなど弾丸を発するものよりも、外観や構造などを出来だけ実銃に似せようとしたモデルガンに惹かれていました。
近年はエアガンのほうが圧倒的に多いと聞きますが、あの当時は“リアルさ”を求めたモデルガンのほうが多かった印象があります。
当時からエアガンもあったと思いますが、サバイバルゲームはまだ生まれていませんでしたし、モデルガンといえば拳銃で、自動小銃はあまり見かけなかったような気がします。
僕はモデルガンというか拳銃を“かっこいい”と思っていました。
つまり拳銃そのものにそんな魅力を感じていたのです。
それに、拳銃を使う物語の登場人物たちに対しても“かっこいい”という感情を抱いていました。
刑事ドラマでは、毎週のように刑事と犯人の銃撃戦が行われていました。日本の私服警官がスミスアンドウェッソンM29カスタム マグナム44を使用している刑事ドラマもあったような気がします。
それに僕は小学生のころから「ダーティー・ハリー」が好きでした。また「マシン刑事999」というマンガが好きで、その主人公はワルサーP38を使っていたのです。
そのような物語で描かれている刑事になりきる道具として、モデルガンが欲しかったのだと思います。
しかし金属製のモデルガンは手が出ませんでしたので、プラスティックなど樹脂をつかった組み立て模型の拳銃を買って楽しんでいました。
金属製に比べると、質感は足下にも及ばない感がありましたが、それでもオートマチックやリボルバーダブルアクションの動きは実銃と同じように再現されていました。
そうして動かすことが楽しかった覚えがあります。
機械式構造が実銃と同じなのか、それは違っていながら動きだけが実銃と同じなのかわかりませんが、「へえ、こうなっているんだ」と思ったものです。
それ自体を楽しんでいたような気がします。
そして、いつか金属製のモデルガンが欲しいと思っていました。
ただ、いつか本物の拳銃が欲しいとは思いませんでした。
端から日本では出来ないことだと思っていました。
それに、僕がモデルガンにあこがれていたのは“かっこよさ”です。拳銃がもつ殺傷力ではありません。つまり実際に誰かを撃ちたかったのではないのです。
以前、3Dプリンターによって作られた拳銃について書いたことがあります。
あの時は、形状を作ることは出来ても、弾丸は火薬によって打ち出されるのですから、素材の強度が必要で、そのためそう簡単に誰でも作れるわけではないだろうと書いた覚えがあります。
3Dプリンターは、素材を熱で溶かし層を重ねることで形作るのだと聞きます。熱で溶かすとなると、ある程度の強度をもった素材を使う場合、高い熱を発する機械が必要だと思います。
また3Dプリンターは層を重ねて形をつくるのですから、表面を滑らかにするには一つの層を細かくして、層の段数を多くしなければならないと思います。
精密な部品を作るには、細かい層を多く重ねる機械が必要だと思います。
拳銃を作るにはそのような機械が必要で、そんな機械はそう簡単には普及しないと思ったのです。
しかしそうではなかったようです。3Dプリンターの設計図をインターネットでダウンロードすれば自作することが出来るようです。
そしてその自作3Dプリンターで拳銃を作ることが出来るようです。
金属などを使って補強や改造しているようですが、その拳銃は実際に発砲することが出来、その威力は殺傷力があるようです。
「誰も簡単に拳銃が作れる時代がくる」
それはかなり先のことだろうと思っていましたが、あっという間にそんな時代になったのかもしれません。
3Dプリンターで金属製の拳銃も作られていると聞きます。
個人的に、3Dプリンターで作った銃をみても“かっこいい”とは感じませんでした。
“かっこよさ”を求めて作られたのではないのかもしれません。
“撃つため”に作ったのかもしれません。