“人類は、核兵器を生み出しながらも一度も使用しないことがあり得ただろうか?”
“この先、人類史上三度目の核攻撃が行われることはあるのだろうか?”
“弱いものは武器を持たなければ身を守ることは出来ない”
そうかもしれません。体力のない女性が、大柄で筋力がある男性に襲われた場合、なにか武器でも持っていなければ対抗できないことはあると思います。
女性を狙った犯罪が報じられることは、決して稀ではないと感じます。
身を守るために気を付けている人もいると思います。
スマートフォンを操作しながら歩かないとか、街灯が少ない道を通らないとか、帰宅時間が遅くなるときはタクシーを使うとか、防犯ブザーなどを携行するなどです。
そのようなことを啓蒙している事物を見聞きすることもあります。
また、いざという時の対処法についても、目にしたり耳にしたりすることがあります。
大声で助けを求めるとか、出来るだけ早い時点で逃げるようにするとか、とにかく全力で人間がいる場所をめざすなどです。
そして、自ら身を守る方法を伝授する様子を目にすることもあります。
護身術などです。身を守ることと目的として、格闘技を習っている女性もいるかもしれません。
スタンガンや催涙スプレーなど、護身用の器具を持ち歩く女性もいるかもしれません。
それら護身用の器具は、武器のひとつだといえるかもしれません。
調べたわけではありませんのであくまで個人の印象ですが、日本では護身のためスタンガンや催涙スプレーを持ち歩いている女性は少ないような気がします。
もしかしたら、スタンガンをもっているのは、男性の方が多いかもしれません。
体力や格闘に自信のない男性が、護身用にスタンガンなどを所持することもあるような気がします。
また、不測の事態に備えようという考えがあるかもしれません。
刃物をもつ通り魔に襲われたり、たまたま立ち寄ったコンビニに強盗が現れたり、いわれのない暴行を受けたり、美少女が悪漢に囲まれているところに出くわしたりする事態などです。
それにしても、男性には武器に対して関心を持ちやすい心理傾向があると感じます。
男性は“力”に対する憧れのようなものを持ちやすく、それが武器類に対する興味を沸かせやすいのではないかと感じるときがあります。
だから武器を持ちたがるような気がするのです。
ただそんな“強さへの憧れ”でも、自分の身を守るためでもなく、他者を攻撃する目的でスタンガンや催涙スプレーを所持する人がいるかもしれません。
女性を襲うなど、犯罪にスタンガンや催涙スプレーを使う人がいるかもしれません。
“拳銃を持つことが法律で認められたら”
弱いものが自分の身を守るためだとしても、女性よりむしろ男性のほうが拳銃を持ちたがるような気がします。
それに年齢性別にかかわらず、犯罪に使う目的で拳銃を持つものがいると思います。
“弱いものだけに銃を持つことを認めたら”
女性、高齢者、子供だけは銃を所持してもいいということになるかもしれません。しかし女性による犯罪も、高齢者が人をあめる事件も、未成年者が罪を犯すことも、少なからず耳にします。
また、十歳に達しない子供が誤射したり、認知症の高齢者が無自覚に発砲したりする事件が起きるかもしれません。
そして、弱い者がもつ銃が、犯罪者や反社会的集団の手に渡ることもあると思います。
そもそも、弱いものにだけ銃の所持を認めるような法律は作りようがないと思います。
“犯罪歴がなく、心身が健康で、心を患った病歴もない成人なら、身分証明書を提示するだけで銃を所持することが認められたら”
その法律では高齢者や未成年は銃を持つことは出来ません。
犯罪者や反社会的集団は銃を持とうとすると思います。
そうなると、より強力な武器を持たなければ対抗できないと考える人がいるかもしれません。
また人間とは複雑なもので、善人と悪人にわけることなど出来ないと思います。
善良だと評判の人が、他者の命を奪う事件を起こすことがあります。
警察官が人をあやめる事件を起こすことがあります。
教員、慈善家、法律家、宗教家が罪を犯すことがあります。
“銃をもった悪人に対抗できるのは、銃をもった善人だけだ”
そのような考え方はあまりも幼稚だと思います。
大人がふりかざす理論ではないと感じます。
武器は他者を攻撃する道具といえるかもしれません。
他者が武器を持っている場合、自分も武器を持ちがたるものだと思います。
そして他者より強力な武器を持とうとするものがいると思います。
それよりもさらに強力な武器を持とうするものがいると思います。
この競争に到達点はないと思います。
人間は延々と武器を強力にしていくしかないと思います。
しかし、その競争に歯止めをかけられるは人間しかいないと思います。
歯止めをかけることは、人類のためになると思います。