2014年5月31日土曜日

51対49

「俺様が決めたことにはだまって従え」

「我が輩は統治能力に秀でている。我が輩に勝るもなどいないのだ。皆のものは我が輩の支持に従っていればよい。我が輩に黙ってついて来れば幸せに暮らせる」

「私に高い知能がある。しかも慈悲深く、思慮深く、常に見識を深める努力を怠らない。決して独りよがりにはならないし、独断で決めることなどしない。広い視野で物事を見極め、皆の意見に耳を傾け、先のことを見据えて物事を決めているのだ。だから皆の者は私の決定に従いなさい。そうすれば間違うことはない。皆が幸せになれる」

 一人の人物により、国の意思決定をする仕組みがあると思います。
 昔は、そのような国が多かったような気がします。 絶対的な権力を持つ一人の人物によって統治される国です。
 そのような国では、統治者である一人の人物の資質の有無や人間性によって、国のあり方や国民の暮しが大きく左右されるのではないかと思います。

そのため、国民に敬われ、慕われ、感謝される統治者もいれば、嫌われ、疎まれ、蔑まれている者もいると思います。
反乱がおきることもあったと思います。それによって別の人物が統治者になることもあると思います。
一人が統治者になる仕組みそのものを、打ちこわすこともあると思います。

 今の世界では、一人の人物が統治する国は少なくなっていると感じます。
 政治に、みんなで話し合って決める仕組みを取り入れている国が多いような気がします。
“みんなで話し合って決める”
 民主主義の理念はそこにあるのかもしれません。

 ただその仕組みのなかでも、強い権力を持っている人がいるように見られます。
 みんなで話し合って決めるにしても、“国”なると“みんな”が多く、また多様だと思います。全国民で話し合うことは、物理的に不可能な場合が多いと思います。
 そこで“みんな”から代表者を選び出したり、いつくかの集団にまとめたりしているのだと思います。
 そのようなことから、強い権力をもつ少数の人物が生まれることがあると思います。

 ただその権力は、昔ほど強くない場合が多いと感じます。
今の人間社会は、昔より権力が強くなりにくいような気がします。
仕組み、社会の構造、人々の意識、などが変化しているためかもしれません。
権力には奪い合いがつきものだと思いますし、現代は情報技術の発達し、利害関係や人間関係の複雑になり、一人の人間に長い間、権力が集まる状況にはなりにくいと感じるのです。

また、今の社会は昔より意見がまとまりにくいと思います。
やはり情報があふれ、あらゆる繋がりが複雑になっているためだと感じます。社会の雰囲気や国民の意識も、昔とは変わっているような気がします。
“みんなで話し合って決める”
 それが昔より難しくなっているといえるかもしれません。
“いくら話し合っても決まらない”
そんなことばかりだという印象があります。

しかしいくら話し合っても決められないからといって、いつまでも決めないわけにはいかないものだと思います。
決めなければならない事柄があるから話し合っているのですから、いつかどこかで決定しなければならないと思います。
決め方の一つに多数決があると思います。

民主主義は原則的に多数派の意見が採用される仕組みだと思います。
しかしそれ以前に“みんなで話し合って決める”のが、民主主義の理念だという気がします。
つまり、話し合っても決まらないときの最終的な決定手段が、多数決だと思います。
そして最終的な意思決定手段であるがゆえに、その決定は厳格に守られなければならないと思います。

「51対49でも、多数派に決定する」
 すごいことを言っている印象を受けます。
 しかし意見が拮抗しているからこそ、話し合いでは決まらないようにも思います。
 話し合いでは決められないからこそ、最後の手段である多数決で決めなければならないのだと思います。
 そう考えると、“51対49”になりそうな事柄についてこそ、多数決で決めるべき事柄だといえるかもしれません。

そして多数決は最終的意思決定手段であるのですから、決定されたからには“49”の意見は採用するべきでなく、それを受け入れなければならないと思います。
多数決は少数派を切りすてる仕組みだといえるかもしれません。
ただ少数派を切り捨てることが、社会全体にとって必ずしも良いことではないと思います。
そのため多数決をやり直すこともあると思います。
 
しかし民主主義において多数決は最後の手段であるとすれば、何度もやり直すべきではないような気がします。
少数派の意見を組み込むのなら、“みんなで話し合う”段階で行うべきだという気がします。
 つまり、話し合いにおいて少数派の意見を取り入れることが求められると思います。
 意見の対立が拮抗している場合なら、話し合いにおいて考え方の差を縮めることが求められると思います。
 つまり、妥協や譲歩が必要だということです。

「私の意見が絶対に正しい。一切妥協も譲歩もしない。仮に多数決で少数派になっても、絶対に従わない」

 民主主義の質が劣化している表れかもしれません。