2014年5月16日金曜日

けなされ。罵られ。叩かれ。褒められ。

「私って、褒められて伸びる人タイプなんです」
「人材は褒めて伸ばすべきです」 
 そのような言葉を耳にすることがあります。
 ただ以前よりは、このような言葉を見聞きする機会が少なくなった印象があります。
 
 それは“褒めて伸ばす”という考え方が根付いてきたからかもしれません。“褒めて伸ばすべき”そんなことは言われなくてもわかっている、ということになっていると感じられます。
かつては、“褒めてのばす”という考え方をする指導者が少なかったのだと思います。
 むしろ“厳しさ”こそ、人を伸ばすという考え方のほうが多かったと感じます。そしてそれが実践されてきたと感じます。

“厳しくしてこそ人は伸びる”という観念が強かった時代、萎縮して実力を発揮できないと感じていた人がいたと思います。
 また厳しくされることで、やる気をなくした人もいると思います。指導される身として厳しい指導に疑問を抱いていた人もいたと思います。
 そこで「褒められて伸びるタイプなんです」という声が発せられるようになったと感じます。
 厳しく指導されても伸びなかった経験がある人や、厳しくされても自分は伸びないだろうと予想している人が、事前にそれを宣告することで、厳しい指導を回避しようとしている場合があると思います。

 それに指導する側からも、厳しいことをよしとする指導法に異議や疑問の声が上がるようになったような気がします。そして「褒めて伸ばすべき」といわれることが増えたような気がします。
 厳しい指導が広く実践されていた時代だったから「褒めてのばす」といわれていたということです。
最近は“褒めて伸ばす”という考え方がある程度定着してきたため、見聞きする頻度が減ったような気がします。

 ただそれでも“厳しい指導”が全面的に否定されているわけではないと思います。実際に人間社会ではあらゆる状況で“厳しい指導”が行われているように見られます。
 なかには“厳しい指導でなければ人を伸ばすことは出来ない。人を伸ばすには厳しく指導するべきである”と信じて疑わない人もいると思います。
 
指導を受ける人が“厳しい指導”に対して反撥するのは、それが指導のためだと感じられない場合が多いと感じます。
指導者は立場が上であることから、指導と称して一方的な暴力を加えることがあると聞きます。しかし指導者自身は“愛のむち”だと思い込んでいるし、言い張っている、指導を受ける人がそう感じていることがあるような気がします。
また指導者が感情をぶつけることもあると思います。指導している内容とは無関係なことを罵ったり、人格を全否定するような罵声をあびせることもあると思います。

昔は、そういう“嫌な思い”をしながら、それに耐えられる強さを持っている者が伸びるという考えもあったような気がします。
しかし萎縮したり意欲を維持できなかったりして、伸びなかった人も多かったと感じます。中には高い資質を持ちながら、萎縮したり意欲を維持できなったりして、埋もれてしまった人もいると思います。

人は褒められるとうれしいものだと思います。褒められることは心地いいことだとおもいます。その心地よさを求めて、伸びる人がいると思います。自分を伸ばそうと努力することもあると思います。
そこで「褒めて伸ばす」という考え方で指導が行われることがあると思います。

それにしても、褒められることや、多くの人から「すごいね」といわれることは、あまりにも心地いいことだと思います。
しかし褒められることや「すごい」といわれることの心地よさは、実力や実態がともなっていなくても得られると思います。
偶然、実力以上の結果が出た場合でも、褒められたり「すごい」っていわれたりすると心地いいものだと思います。まぐれだと自覚していても、心地よさを得られるものだと思います。いつのまにか実力だったという感覚をもつこともあると思います。

また、他者があげた成果を勘違いされたとしても、褒められたり「すごい」といわれたりすると、心地いいものだと思います。勘違いされているとわかっていても、心地よさは得られるものだと思います。いつの間にか自分の成果だという感覚をもつこともあると思います。
また、成果を出していないのに嘘をついたとしても、褒められたり「すごい」と言われたりすると、心地いいものだと思います。嘘だと自覚していながらも心地よさは得られるものだと思います。いつの間にか嘘に対する罪悪感が薄れることもあると思います。

褒められて伸びる人はいると思います。
ただ『褒められたい』『すごいっていわれたい』それ自体が目的となると、実力がなくても褒められようとする人もいるような気がします。
そのほうが努力して実力をつけて褒められるより手軽だと思います。
ただそのような心理は誰でもあることだと思います。自慢話や苦労話には、『褒められたい』『すごいっていわれたい』という欲求があるような気がします。

一方的に暴力をふるうことや、感情にまかせて罵ることは、指導者として論外だと思います。
しかし“ただ褒めればいい”というわけではないと思います。
また指導とは、人間と人間で行われることです。相性や向き不向きがあると思います。

そう考えると、指導者に頼らないことを指導することは、優れた指導者の条件の一つになるような気がします。