2014年5月3日土曜日

進め方


“賛同するものを集める”

 やりたいことをやるために、そのような進め方をする場合があります。

 民主主義では、同じ考えをもつ者が集まらなければ、やりたいことをやることは難しいと思います。

 ただ人間社会は複雑ですので、“賛同するものを集める”にしても様々な様態があると思います。

 

上に立つ者が、自分に賛同する人間を集めて“こと”にあたらせる場合があると思います。

 その集団は表向き“やりたいことを検討する”役割を持つとされながら、実質的に“やりたいことを進める”ことを担っている場合があると思います。

 上に立つ者のなかには、そのようなやり方をしなければ、やりたいことを進められないと考えている人もいるような気がします。

 

 しかしそれは、ブレーキのない列車に大勢の人を乗せて進んでいるようなものかもかもしれません。

 道は長く曲がりくねっているにも関わらず、ブレーキのない列車がレールにのって進んだのでは、いずれ脱線し大破するような気がします。

 大勢の人を運ぶ乗り物は、駆動力と制動力の両方が必要で、そのバランスが必要だと思います。

 上に立つ者が悲願だの信念だの個人的な観念に基づいてことを進め、周りにも同じような人間ばかりが集められている状態では、時勢や時期を見誤ったり、地ならしが不十分だったりする場合があるような気がします。

 

 有史以来、あるいはそれ以前から、この世界は民衆が大きな事態を起こしてきたと思います。それを利用しようとした者もいたと思います。しかし集団を思いのままに操ることは、昔も今も非常に難しいものだと思います。

 現代は非常に多くの情報が、非常に広い範囲に、非常に短時間で伝わると感じます。

 それは民衆の動きと大きくかかわっていると思います。

 つまり過去よりも現代のほうが、民衆の動きが大きくなりやすく、また制御や操作することがはるかに難しくなっているような気がします。

 

 不正や不道徳な行いをしたものなど“悪いやつ”をつるし上げ、一斉に非難するのは、どこの国でもあることだと思います。

 自己の正当性を強く主張し、対する者を強く攻撃しようとするのは、人間社会ではどこでも見られることだと思います。

国民の批判が政治に向けられることもあると思います。

すると、その国民の怒りの感情を、隣の国に向けさせようとする政治家がいるかもしれません。以前からそのようなやり方を使っている国があるかもしれません。

現代は情報伝達技術が発展していますので、その国の国民はそんな政治家の思惑を見透かすかもしれません。

しかし見透かしていたとしても、隣の国に対して以前から“いい感情”をもっていないのですから、国民は隣の国をあらゆる手を尽くして叩こうとするかもしれません。

つまり今は、自分の国の政治を批判するとは別に、隣の国も非難し攻撃するかもしれません。

その国の政治家が国民の怒りを隣の国に矛先を向けようとしなくても、“解釈変更”など“ネタ”があると、民衆のなかにある隣の国に対する怒りや嫌悪は高ぶり、それが大きな影響を及ぼすかもしれません。

 

今や経済大国となった大国に対して、バブル崩壊を懸念する声が聞かれることがあります。

もしバブルが崩壊すると、最も大きな打撃を受けるのは、当の大国だと思います。そのため、経済成長の速度を抑えてでも、経済を健全化しようとしているような気がします。

しかし何せ大国ですので、急速な発展とその後の引き締めでは何かと社会にひずみが出ることがあると思います。政治に対する不満がたまるかもしれません。その怒りの矛先を隣の国に向けるかもしれません。過去にやってきたような気がします。

また、国が民衆を唆さなくても“解釈変更”など“ネタ”があると、様々な形で反撥があるかもしれません。その国の政治家もいろいろいるでしょうが、三権分立していないとなると、商業に関する法律で叩いてくるかもしれません。

 

個人でも集団でも人間の心理は難しいものです。時に自制できないこともあると思います。力を持つ者との関係が深まったとなると、後ろに強力な味方が付いていると感じ、気が大きくなることもあると思います。

対する側は、それを感じ取るかもしれません。強いものと関係を深めて、いい気になっているとか、でかい態度に出てきたという印象を抱くかもしれません。それは怒りの感情や嫌悪感を高ぶらせるかもしれません。

それは双方の意識のなかの攻撃性が、無自覚に高ぶるといえるかもしれません。

偶発的衝突の可能性が格段に高まるといえるかもしれません。かりに偶発的衝突があった場合、力を持つ国と関係を深めた国は、力を持つ国が加勢するのは当然だと主張するかもしれません。

 

現代の世界は非常に複雑で移ろいやすく、それだけに大きなことを行うには、広く見渡し、タイミングを計らなくてはならないと思います。

また、大きなことを行った後の影響を抑えるために、地ならしや下準備は広く多方面に渡ってやらなければならないような気がします。

悲願だの信念だの個人的な観念の強い者ばかりが集まっていると、みなが身の回りしか見えず、狭い視野だけでタイミングを計り“今しかない”などと、時勢を読み違うことがあるかもしれません。