大分前に「逢びき」という映画について書いたことがあります。
何か月か前に「アラビアのロレンス」という映画について書いたこともあります。
「逢びき」は既婚者である女性が、同じく妻帯者である男性に恋心をいだく物語です。要するに浮気心ですが、恋慕と罪悪感に揺れ動く女性の気持ちを描写していると感じます。
現代で女性の浮気心を描いた物語には、恋心の暗部を描くような作品も少なくないような気がします。
「逢びき」は1945年の作品ですので、現在とは時代背景が違うと思いますが、心情は純朴で、その描き方は“さわやかさ”さえ感じられると思います。
「アラビアのロレンス」は、実在した人物と歴史的な出来事を描いた大作です。映画の大作の多くは、はじめから大作を作ろうと意図されて作られるものだと思います。
この作品も、映像美や上映時間などあらゆる点において壮大で、まさに大作になるべくして大作となった名画だと思います。
こうして書いてみると、この二つ映画は随分と作風が違っていると改めて感じます。
しかしこの二つの作品はどちらもデヴィッド・リーン監督によるものです。
「アラビアのロレンス」は1962年公開ですので、両作品の間には17年の時間という長い時間があります。作風が違っているのも当たり前かもしれません。
ただデヴィッド・リーン監督は、先人はみな開拓者であり、新たな試みに挑み続けていたと語ったそうです。
そして、続編や過去の作品の再映画化を否定はしないものの、同じことの繰り返しは避けるべきだと続けたそうです。
“同じことを繰り返さない”
デヴィッド・リーン監督は、それを常に意識することで、自らの作品の創造性を高めようとしていたのかもしれません。
近年の映画では、洋画も邦画もシリーズものとリメイク作品が非常に多いと感じます。
一般的に映画館で有料上映される映画は、“商業”が関わっているものだと思います。
創作者が自らの創作物を世に出したいという思いもあるでしょうが、それは“商業の場”で行われる場合が多いと思います。
収益という面で考えると、続編や再映画化は“手堅い”のだろうと思います。
何度か似たようなことを書いているような気がしますが、かつて人気を博した映画の続編なら話題になります。
また前作を観た人の多くが『続きも観たい』と映画館に足を運ぶことが予測できると思います。
シリーズ化した作品の中には、次第にマンネリに感じられ映画館の来場者数は減るかもしれません。それにしても、続編が何作もつくられるということは、それだけ人気があるということですので、ある程度の収益が見込めるのだろうと思います。
また近年、昔の映画や漫画やアニメを、映画化した作品も多いような気がします。
“過去の作品を現在の技術や感性で描く”
リメイク映画の“面白さ”といえるかもしれません。
そして、つくり手は創作意欲を掻き立てられ、受け手は興味を掻き立てられることだと思います。
また、つくり手、受け手ともに、過去にその作品に触れた世代も、リアルタイムでは触れていない世代も、創作意欲や興味を湧かせることもあると思います。
映画の商業的な面においてそれは、幅広い年齢層を呼び込めるという考えになるかもしれません。そのすべてが高い収益をあげているわけではないのかもしれませんが、製作する側には“手堅い”という考えがあるような気がします。
先日、実物大イングラムについて書きました。イングラムは、過去に人気を博した漫画で、アニメ化もされた「機動警察パトレイバー」に登場する「多足歩行式大型マニュピュレーター」、要するに人間が搭乗するロボットです。
「機動警察パトレイバー」の実写新作が作られており、その撮影と宣伝のために実物大イングラムが製作されたようです。
その映像を見ると過去の漫画のイメージに、現代の技術や感性を絶妙なさじ加減で加えて実体化させたように感じました。とても『かっこいい』と思います。
過去に人気を博した漫画・アニメ作品を、実写化し新しい技術や感性で新作を作るとなるとそれだけでも話題になると思います。
さらに実物大イングラムが作られたのですから多くの人の関心を引くと思います。
ただ過去に人気を博した作品の再映像化ですので、やはり“手堅い”という考えはどこかにあるような気がします。商業面では“手堅さ”が求められることが多いと思います。
そんな世界でも、才能と実績があり名前が知られている創作者でしたら、リメイクではなく新しいものを世に送り出す道も、決して狭くはないような気がします。
イングラムも巨神兵もかっこいいと思います。でも次は、独自に創作したものがみたいという思いがあります。