2014年5月27日火曜日

今の世界にあふれる矛盾

今の世界では、戦争して得する国はないように思います。
 ここ数十年を振り返っても、『戦争をやってよかった』そう思える国はないような気がします。
先の大戦が終わってから70年近く経ちますが、その間この世界では何度も戦争が起きていると思います。
その戦争で何かを得た国があったのか考えると、そんな国はないような気がします。
勝ち負けさえ明確に出来ないまま、終わった戦争もいくつもあるように見えます。
終わったことさえ有耶無耶になっている戦争もあるかもしれません。

それらの戦争は国を疲弊させ、国の発展を遅らせ、国民の暮しを貧窮させ、そして何よりも多くの命を犠牲にしたと思います。
“それで国は何を得た?”
“失っただけではないのか?”
それでは犠牲に対して申し開きができないため、よかったことを無理やり見つけようとしていると感じる時があります。
 しかし見つからないため、見つけることをやめてしまったと感じることもあります。

『今の世界には、戦争して得する国はない』
そう考えている人はいると思います。今の世界で戦争をやりたがっている国はないといえるかもしれません。
 軍備を強めている国にも、戦争をやりたがっていない政治家が何人もいると思います。
 
 もちろん国には大勢の人間がいて、その一人一人が自分なりの考えを持っていると思います。
 その中には、戦争をするべきだと考える人もいると思います。戦争をすれば国が良くなると訴える人もいると思います。
『我が国の軍は以前より各段に強くなった。今なら勝てる』そう考えている政治家がいるかもしれません。
『我が国の軍は以前より格段に強くなったが、盤石を期すためにさらに強化するべきだ。それから戦争は始めればいい。そうすれば我が国は世界の覇者になれる』そう考えている軍人がいるかもしれません。

『損得ではない。世界の秩序を守るために我が国は戦うべきなのだ』
 そう考えている人がいるかもしれません。
『我が国が戦うことで世界の秩序は守られてきたのだ。我が国は戦争をしなければならないのだ。そして我が国は強くあり続けなければならないのだ』
 そう考えている人もいるかもしれません。
 
それにしても、今の世界で『我が国は戦争をするべきだと』と考える人は決して多くないと思います。
各国の国内事情や他国との関係は様々だと思います。戦争について、一概には語れないと思います。
しかし各国の事情うんぬん以前に、世界の全体のあり方が“どの国であれ戦争をしても、いいことはない”という形になっているように見えるのです。
そして、多くの人はそれを感じていたり、そう考えていたりしているような気がします。

しかし近ごろ、人々の意識に矛盾を感じる時があります。
『戦争してもいいことはない。戦争はするべきではない』そう考えたり感じたりしているものの、『国の正当性を強く主張するべきだ。他国の主張は間違っている。武力を強化するべきだ』という意識が高まっているように見られます。
 そのような強硬志向は、国家主義や国粋主義に繋がりやすいような気がします。

 しかし強硬志向が強まっているのは、世界的な傾向だと思います。
国民の意識のなかに『国は強い姿勢を示せ』という意識が強まっていると思うのです。
 政治家にも強硬志向の人間が増えていると感じます。それは国民の志向が反映されているのだと思います。選挙結果として、“国は強く出るべし”という政治家が増え、それを掲げる政党が議席を伸ばしていると感じます。

また国民から「国は強く出るべし」という声が上がるため、それに政治家が押されることもあると思います。
強い姿勢を示すと支持率があがる、そんな傾向が世界的にみられると感じます。そのため政治家は強く出るような気がします。思惑どおり支持率はあがるものの、それが本当に国にとっていいことかというと、先を見据えるほどそうとは思われないことも多いと感じます。

『戦争するべきでない』
『国は強く出るべきだ』
 その二つは必ずしも相対するわけではないかもしれませんが、やはり矛盾をはらんでいると思います。
 しかも、多くの国にこのような風潮があると、一瞬で意識が変わることもあり得るような気がします。
『戦争はするべきではないかもしれないが、仕方ない。向こうが悪いんだ』
『やはり戦争をするべきなんだ。我が国のためだ』
『戦争すべきじゃないなんて言ってんのは誰だ。それは間違いだったんだ』

『戦争するべきではない』それは思考に基づく意識であり主張だと思います。
『国は強く出るべきだ』それは感情に引かれた意識であり主張だと思います。
強硬志向は感情に流された意識による場合が多いと感じます。ただ多くの人はそれを自覚していないような気がします。

それがいつか、損失と悲劇と憎悪を生むかもしれません。